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3日目が幕を閉じた
1日目はとりあえず三重までいった
2日目は奈良と和歌山と三重と京都と大阪の県境(紀伊山地の真ん中~北らへんだと思う)の峠を散々走った
3日目は一日中雨だったので、おとなしく市街地をゆっくり移動することにした
で、姫路に至る
長靴を持ってくりゃあよかったな
ツーリングマップル、関西バージョンが出かけるときは新品だったのに、たったの3日でボロボロになっちまった
あと思ったんだけど国道2号ってのは便利だな
明石市あたりから以西が便利だ
無料の高速道路だ
少なくともこいつで岡山までいけるらしいから驚きだ
1号にも静岡に無料高速区間はあるけど、ところどころ市街地をはさむし1車線だったりするかんな~
それにくらべりゃ2号は画期的なんじゃないかな
気分はイージーライダーのビリーである 服装的に
あとラーメン食ったあと一瞬腹がごっつ痛くなって怖くなってすぐ近くにあった薬屋で薬買っちまったよ
今んところそれでとりあえず安心なんだけど、考えてみたら旅行先での病気や怪我ってのは怖いもんだな
特に自分が運転しなきゃならないわけだからな
痔とか最悪だな
あとは内臓の痛みってのも勘弁だわ
こういうときマジで思うが健康ってのは宝だな
俺はまだバイクで事故ったことないし、というか今後永久に事故りたくはないわけだが、事故る友人とか見てるとやっぱ彼らはどこか恐怖心が麻痺していたんではなかろうか
俺はビビリだからなかなか無謀なことはしない
まあ無謀なことを何度かやったとしても、いかんいかんと心を引き締めるように心がける
よくバイクこえ~からいいやっていう人いるけど、そういう人たちに言いたい
怖いって思う人間こそバイクに向いているのだ
何故なら恐怖心を維持することで多くの危険を回避できるからである
安全に乗りさえすれば最高の乗り物だし娯楽だしスポーツである
貴様らも乗りたまえ
1日目はとりあえず三重までいった
2日目は奈良と和歌山と三重と京都と大阪の県境(紀伊山地の真ん中~北らへんだと思う)の峠を散々走った
3日目は一日中雨だったので、おとなしく市街地をゆっくり移動することにした
で、姫路に至る
長靴を持ってくりゃあよかったな
ツーリングマップル、関西バージョンが出かけるときは新品だったのに、たったの3日でボロボロになっちまった
あと思ったんだけど国道2号ってのは便利だな
明石市あたりから以西が便利だ
無料の高速道路だ
少なくともこいつで岡山までいけるらしいから驚きだ
1号にも静岡に無料高速区間はあるけど、ところどころ市街地をはさむし1車線だったりするかんな~
それにくらべりゃ2号は画期的なんじゃないかな
気分はイージーライダーのビリーである 服装的に
あとラーメン食ったあと一瞬腹がごっつ痛くなって怖くなってすぐ近くにあった薬屋で薬買っちまったよ
今んところそれでとりあえず安心なんだけど、考えてみたら旅行先での病気や怪我ってのは怖いもんだな
特に自分が運転しなきゃならないわけだからな
痔とか最悪だな
あとは内臓の痛みってのも勘弁だわ
こういうときマジで思うが健康ってのは宝だな
俺はまだバイクで事故ったことないし、というか今後永久に事故りたくはないわけだが、事故る友人とか見てるとやっぱ彼らはどこか恐怖心が麻痺していたんではなかろうか
俺はビビリだからなかなか無謀なことはしない
まあ無謀なことを何度かやったとしても、いかんいかんと心を引き締めるように心がける
よくバイクこえ~からいいやっていう人いるけど、そういう人たちに言いたい
怖いって思う人間こそバイクに向いているのだ
何故なら恐怖心を維持することで多くの危険を回避できるからである
安全に乗りさえすれば最高の乗り物だし娯楽だしスポーツである
貴様らも乗りたまえ
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地震から2年か
去年は中古CD屋で黙祷をした
今年は運転中だったから黙祷しなかった
去年、店がアナウンス流して、黙祷を行いますみたいに言った
周りの客もみんな黙祷していた
俺はいっつも思うのであるが、こういう黙祷ってのはやはり必要だなと思う
同じように「ご冥福お祈りします」とか「お察し申し上げます」という言葉もなんだかんだ必要だと思う
これがなんの慰めにもならないこともわかってる
わかってて必要だと俺は思っているんだ
こういうのをただの社交辞令として嫌う人も多い
だが、だったら本当に死んだ人や遺族を慰めることができる行為が他にあるのか?と
何もない
金やら物資の支援はできても、心の支援はやはりほとんど出来ないものと思う
人の死ほど解せないものはないな
だって誰も死んだことがないんだものな
死んだ人は絶対に戻ってこないし
なんにも出来ないんだ
つくづく死ほどわからんものはない
だから、どんなにがんばったところで人の死に対してしてやれることといえば、「ご冥福をお祈りします」とこういうのが精一杯なのである
社交辞令というときこえは悪いが、これが精一杯じゃないか
だが、必要だとは思う
プライベートで、ダチとかに対しては俺はめったに言わないのであるが、もしも手紙の中だったりテレビのアナウンサーだったりしたら、云うんだろうなあと思う
何故必要だと思うのかというと、まあなんとも言葉に表現しようのない感情でございます、というのを表明するのにはうってつけなんじゃないかと思うからだ
そうして自然に発生した言葉なんではないだろうか
話が飛ぶようだが、こんだけ死後の世界ってのは図りようがないのに、葬式はやるし、墓も立てるだろう
無宗教の家だって、人が死んだらまず葬式をあげる
墓を立てない人なんてほとんどいないはずだ
仏教徒じゃなくても坊さんを呼ぶ
墓参りもする
黙祷もする
拡大解釈するようだが、もしも人の死に際してかける言葉を「社交辞令」とするのであれば、こういった墓立てたりなんなりって一連の所作も「社交辞令」なのではないか?
でもだからといって、やらないわけにはいかないだろう
人の死が永遠に解せぬ現象である以上、こういった所作は必要不可欠であると俺は思う
去年は中古CD屋で黙祷をした
今年は運転中だったから黙祷しなかった
去年、店がアナウンス流して、黙祷を行いますみたいに言った
周りの客もみんな黙祷していた
俺はいっつも思うのであるが、こういう黙祷ってのはやはり必要だなと思う
同じように「ご冥福お祈りします」とか「お察し申し上げます」という言葉もなんだかんだ必要だと思う
これがなんの慰めにもならないこともわかってる
わかってて必要だと俺は思っているんだ
こういうのをただの社交辞令として嫌う人も多い
だが、だったら本当に死んだ人や遺族を慰めることができる行為が他にあるのか?と
何もない
金やら物資の支援はできても、心の支援はやはりほとんど出来ないものと思う
人の死ほど解せないものはないな
だって誰も死んだことがないんだものな
死んだ人は絶対に戻ってこないし
なんにも出来ないんだ
つくづく死ほどわからんものはない
だから、どんなにがんばったところで人の死に対してしてやれることといえば、「ご冥福をお祈りします」とこういうのが精一杯なのである
社交辞令というときこえは悪いが、これが精一杯じゃないか
だが、必要だとは思う
プライベートで、ダチとかに対しては俺はめったに言わないのであるが、もしも手紙の中だったりテレビのアナウンサーだったりしたら、云うんだろうなあと思う
何故必要だと思うのかというと、まあなんとも言葉に表現しようのない感情でございます、というのを表明するのにはうってつけなんじゃないかと思うからだ
そうして自然に発生した言葉なんではないだろうか
話が飛ぶようだが、こんだけ死後の世界ってのは図りようがないのに、葬式はやるし、墓も立てるだろう
無宗教の家だって、人が死んだらまず葬式をあげる
墓を立てない人なんてほとんどいないはずだ
仏教徒じゃなくても坊さんを呼ぶ
墓参りもする
黙祷もする
拡大解釈するようだが、もしも人の死に際してかける言葉を「社交辞令」とするのであれば、こういった墓立てたりなんなりって一連の所作も「社交辞令」なのではないか?
でもだからといって、やらないわけにはいかないだろう
人の死が永遠に解せぬ現象である以上、こういった所作は必要不可欠であると俺は思う
最近隕石のニュースとか見て、それと津波のこととかもおもいだしてつくづく思うんだが、俺たち人間もいつ死ぬかわからないんだな
いつ捕食者に食われちまうかわからない他の動物や、でかい生き物に踏み潰されてしまう植物や、雨で巣が浸水して死んでしまうアリとかと一緒で、人間もいつ死ぬかわからねえんだなってマジで思う。
俺たち人間は、特に日本じゃなんとか食っていけてる
貧乏人でも生活保護もらったりしてなんとか文化的な暮らしができている
一方で生きることにかえって苦悩を感じて死ぬ人間が毎年3万人いるくらいだ
俺たちは、生きていることがまるで当たり前のようになってしまっている気がしてならない
そうじゃないんだ
生きてるってのはすごいことなんだ
俺は改めて最近そう思うのである
決して自殺をする人間が貧弱だと言うわけではないので、誤解はせんでほしいんだが、
明日も生きていられる、という保証がむしろ新たな苦悩を俺たちに押し付けている気がする。
世間体、ストレス、孤独感、その他諸々だろう
生きてることが当たり前だからこそ生じる悩みではないだろうか
だから自殺という選択肢を選んでしまうのではないか
誰でも彼でも生きてることが当たり前だから、それ以上に何か突出した富を得たくなるものなんだ
自殺したいのはそれが損なわれるからなんだ
俺だって今後の人生で自殺という選択肢を絶対に選ばない、という自信はない
死にたくなるときだってあるだろう
だがそのときなんとかして思い出したいものだ
生きてるだけで人間ってのは素晴らしいんだ
本来はそれだけで幸せだったんだと思う
何のために生きてるのか、ってのは、何のために音楽をやるのか、と似ている
音楽をやるのは、音楽がやりたいからだ
ただそれだけだ
音楽で表現したいことは、思想でも感情でもなんでもない
音楽そのものだ
音楽そのものを表したいがために音楽をやる
x=x というような、まるで答えになっているのかいないのかわからないような応えだが、これ以外に思い当たらない
生きることも同じだ
何故生きるのか、
生きるためだ
ただそれだけだ
いつ捕食者に食われちまうかわからない他の動物や、でかい生き物に踏み潰されてしまう植物や、雨で巣が浸水して死んでしまうアリとかと一緒で、人間もいつ死ぬかわからねえんだなってマジで思う。
俺たち人間は、特に日本じゃなんとか食っていけてる
貧乏人でも生活保護もらったりしてなんとか文化的な暮らしができている
一方で生きることにかえって苦悩を感じて死ぬ人間が毎年3万人いるくらいだ
俺たちは、生きていることがまるで当たり前のようになってしまっている気がしてならない
そうじゃないんだ
生きてるってのはすごいことなんだ
俺は改めて最近そう思うのである
決して自殺をする人間が貧弱だと言うわけではないので、誤解はせんでほしいんだが、
明日も生きていられる、という保証がむしろ新たな苦悩を俺たちに押し付けている気がする。
世間体、ストレス、孤独感、その他諸々だろう
生きてることが当たり前だからこそ生じる悩みではないだろうか
だから自殺という選択肢を選んでしまうのではないか
誰でも彼でも生きてることが当たり前だから、それ以上に何か突出した富を得たくなるものなんだ
自殺したいのはそれが損なわれるからなんだ
俺だって今後の人生で自殺という選択肢を絶対に選ばない、という自信はない
死にたくなるときだってあるだろう
だがそのときなんとかして思い出したいものだ
生きてるだけで人間ってのは素晴らしいんだ
本来はそれだけで幸せだったんだと思う
何のために生きてるのか、ってのは、何のために音楽をやるのか、と似ている
音楽をやるのは、音楽がやりたいからだ
ただそれだけだ
音楽で表現したいことは、思想でも感情でもなんでもない
音楽そのものだ
音楽そのものを表したいがために音楽をやる
x=x というような、まるで答えになっているのかいないのかわからないような応えだが、これ以外に思い当たらない
生きることも同じだ
何故生きるのか、
生きるためだ
ただそれだけだ
戦争が悪いことだというのは飽くまで現代人の考え方であってなんでもかんでも現代の判断基準で裁断しては歴史を正しく評価できないと言われている
なんでも現代の考えで判断したら大体歴史上の人物は悪人だからね
戦争=悪という図式をなんでも歴史にあてはめてはならぬというのが一般的な解釈だと思う
一番最近だと日本の大東亜戦争についてはあれは正しかったとか,止むをえなかったという見方もあれば,いやいや間違いだったという見方もあり,日本人の中でも意見の分かれるところである
この手の議題は大体泥沼化する
確かに,戦争=悪という一辺倒では歴史は評価できんと思う
よって正しかった戦争がかつて行われたことがある,という見方はあるかもしれん
しかしその開戦が引き金で行われたナチスのホロコーストにしろ,旧日本軍の731にしろ,もっとさかのぼると江戸時代の拷問にしろ,どう当時の時代の判断基準を考慮しても,俺には一片も弁護出来ないことが,多々あるのである
どうにも人間ってのは敵と信じ込んだ相手に対しては,人間だとも思わなくようで,動物実験ですら憚れるようなことを平気でやるものらしい
俺は,戦争が正しかった時代がある,というより,何が正しいのかを歪めてしまうのが戦争だと思うのだ
開戦の判断が仮に正しかったとしても,そこから拍車がかかって行われることの中には上のようなどう考えても正しくなかったというようなことが行われるのが戦争なのだ
100歩譲って,敵を殺害するのが正義だったとしても,武器も持たない子供を涼しい顔で殺すのは絶対に俺は肯定できん
でもそれが当たり前になるのが戦争なのだ
戦争の可否を問う前に,これを大前提として総じて認識すべきだ
なんでも現代の考えで判断したら大体歴史上の人物は悪人だからね
戦争=悪という図式をなんでも歴史にあてはめてはならぬというのが一般的な解釈だと思う
一番最近だと日本の大東亜戦争についてはあれは正しかったとか,止むをえなかったという見方もあれば,いやいや間違いだったという見方もあり,日本人の中でも意見の分かれるところである
この手の議題は大体泥沼化する
確かに,戦争=悪という一辺倒では歴史は評価できんと思う
よって正しかった戦争がかつて行われたことがある,という見方はあるかもしれん
しかしその開戦が引き金で行われたナチスのホロコーストにしろ,旧日本軍の731にしろ,もっとさかのぼると江戸時代の拷問にしろ,どう当時の時代の判断基準を考慮しても,俺には一片も弁護出来ないことが,多々あるのである
どうにも人間ってのは敵と信じ込んだ相手に対しては,人間だとも思わなくようで,動物実験ですら憚れるようなことを平気でやるものらしい
俺は,戦争が正しかった時代がある,というより,何が正しいのかを歪めてしまうのが戦争だと思うのだ
開戦の判断が仮に正しかったとしても,そこから拍車がかかって行われることの中には上のようなどう考えても正しくなかったというようなことが行われるのが戦争なのだ
100歩譲って,敵を殺害するのが正義だったとしても,武器も持たない子供を涼しい顔で殺すのは絶対に俺は肯定できん
でもそれが当たり前になるのが戦争なのだ
戦争の可否を問う前に,これを大前提として総じて認識すべきだ
ふと,ラーメンを食いながら思った
Ben E Kingのスタンドバイミーとかパーシースレッジの男が女を愛するときとか,50~60年代のR&Bやポップスってやっぱいいなあと思うんだよ
今の時代だって,音楽ろくに聴かない奴ですら知ってるだろ?
で,今こんだけ音楽が飽和してyoutubeに素人が投稿できる時代だってえのに,いまひとつこういった一線を画した名曲ってのはないように思えるんだ
というか既に80年代以降ないように思える
別に昔は良かったなあなんて短絡的な懐古主義に走るわけではないが,でもやっぱりこの感じは否めない.
俺は思うのだが,あらゆる音楽が手に入るようになった分,現代の俺たちはかえって先入観に束縛されているような気がするんだ
ジャンル分けがその要因の最たる例だと思う
その昔はR&BとR&Rの相違すら曖昧だったと思うけど,今じゃアホみたいにジャンルが細分化されたじゃんか
例えばロックとメタルは違うっていうしメタルはメタルの中でもスラッシュとシンフォニックじゃ音楽も思想もファッションも全然違うわけだ
パンクとロックだって全然違うしな
昔はなんでもかんでもR&Bって呼んでたらしいが,今じゃラップやHIPHOPをR&Bと呼ぶ人はいないだろう
まあどんな音楽かを説明するのにはジャンル分けってのはやはり免れないと思うのだが,
「あ~メタルかっけ~な~」って思った人はやっぱり
「やっぱHR/HMだったらリフから曲作るっしょ~」
「ギターソロないとだめっしょ~」
とかなると思うし,
「ハーコーだったらやっぱ速くなきゃダメっしょ~」
「歪んでなきゃダメっしょ~」
みたいになると思う.
こういう風に,知らず知らずのうちに我々は既存の音楽に束縛されてしまっていると思うのだ
簡単に先人の音楽が手に入ってしまう時代だからこそ
ジャンルは良くも悪くもブランド化するのである
今じゃジャンルごとに分かれて市場が確立している感があるしな
ブームがとっくに過ぎたって言われてるV系だって未だにファンが沢山いてメジャーなバンドも沢山いるわけだし
こういう時代に生まれた我々だからこそ,かつてのスタンドバイミーみたいにシンプルにも関わらず至高のコード進行すら作りだすのが困難になっているのではないだろうか
盲点になっているのではないだろうか
というのをさっきふと思った
ビートルズだってあんだけ曲たくさんあってつまらないメロディがほとんどないからね
彼らが解散して40年来の音楽も色々聞いてはきたものの,何故これを超えるバンドに未だに出会えないのか
この疑問を抱いているのは決して俺だけではないはずだ
過去が美化されるってのは人間の本能だが,それ以外に何かやはり理由があるように思われる
Ben E Kingのスタンドバイミーとかパーシースレッジの男が女を愛するときとか,50~60年代のR&Bやポップスってやっぱいいなあと思うんだよ
今の時代だって,音楽ろくに聴かない奴ですら知ってるだろ?
で,今こんだけ音楽が飽和してyoutubeに素人が投稿できる時代だってえのに,いまひとつこういった一線を画した名曲ってのはないように思えるんだ
というか既に80年代以降ないように思える
別に昔は良かったなあなんて短絡的な懐古主義に走るわけではないが,でもやっぱりこの感じは否めない.
俺は思うのだが,あらゆる音楽が手に入るようになった分,現代の俺たちはかえって先入観に束縛されているような気がするんだ
ジャンル分けがその要因の最たる例だと思う
その昔はR&BとR&Rの相違すら曖昧だったと思うけど,今じゃアホみたいにジャンルが細分化されたじゃんか
例えばロックとメタルは違うっていうしメタルはメタルの中でもスラッシュとシンフォニックじゃ音楽も思想もファッションも全然違うわけだ
パンクとロックだって全然違うしな
昔はなんでもかんでもR&Bって呼んでたらしいが,今じゃラップやHIPHOPをR&Bと呼ぶ人はいないだろう
まあどんな音楽かを説明するのにはジャンル分けってのはやはり免れないと思うのだが,
「あ~メタルかっけ~な~」って思った人はやっぱり
「やっぱHR/HMだったらリフから曲作るっしょ~」
「ギターソロないとだめっしょ~」
とかなると思うし,
「ハーコーだったらやっぱ速くなきゃダメっしょ~」
「歪んでなきゃダメっしょ~」
みたいになると思う.
こういう風に,知らず知らずのうちに我々は既存の音楽に束縛されてしまっていると思うのだ
簡単に先人の音楽が手に入ってしまう時代だからこそ
ジャンルは良くも悪くもブランド化するのである
今じゃジャンルごとに分かれて市場が確立している感があるしな
ブームがとっくに過ぎたって言われてるV系だって未だにファンが沢山いてメジャーなバンドも沢山いるわけだし
こういう時代に生まれた我々だからこそ,かつてのスタンドバイミーみたいにシンプルにも関わらず至高のコード進行すら作りだすのが困難になっているのではないだろうか
盲点になっているのではないだろうか
というのをさっきふと思った
ビートルズだってあんだけ曲たくさんあってつまらないメロディがほとんどないからね
彼らが解散して40年来の音楽も色々聞いてはきたものの,何故これを超えるバンドに未だに出会えないのか
この疑問を抱いているのは決して俺だけではないはずだ
過去が美化されるってのは人間の本能だが,それ以外に何かやはり理由があるように思われる
プロフィール
HN:
かずお爆弾
性別:
男性
自己紹介:
千葉が好きな普通じゃない日本人。最近ピアニストに転身した元ギタリスト。単車キチガイ系シンガーソングライダー。ニトロ爆弾/BOOViES/韮。大型二輪:DSC1100 四輪:ソアラZ20。県立千葉高校 → 千葉大学工学部機械科、ジークンドー卒。ライブのお誘いお待ちしてます。民主主義反対!
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