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令和の御代に臨みて、ブログを移転する。なんか・・・使いづらいし

https://ameblo.jp/kazuobomb/
アメブロになってしまった。。。なんか次はもう少しミュージシャンらしいブログを書きたいもんだ

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何度思ったことだろうか・・・。
先日高校の友人の結婚式で集まった際そのような談柄になった。ちなみに彼らは Hydrogen というバンドで、一方私は当時 Something というバンドで双璧を為していたのである。私はバンド部の部長であった。
このメンツで集まると、「高校のころが一番楽しかった」「文化祭のあのライブのときがピークだった」と異口同音に言うのである。残念ながら俺もそのうちの一人である。高校卒業してから10年が経過しようとしているのに、忸怩たる思いである。
一方でそう思うのは俺だけではないということは、何かこれは理由があるのだろう。

何故そう思わざるを得ないのか冷静に考えてみた。

正確なことを言えば、俺は高校の文化祭以後にもそれに伍す、或いは上回るライブを幾度か経験している。
やはり BOOViES や 韮で行ったレコ発は大きかった。自分たちが主役の企画でしかも良いライブをしたときは余りある達成感に自己陶酔した。そして客を陶酔させた自信もあった。終演後も興奮冷めやらず、このままミュージックステーションにでも出られるような心地がして求心力が漲っていた。

実はピークを作るのはやろうと思えば簡単なことなのだ。レコ発なりコンテストなり誕生祭なり、何かしら自分たちが主役のイベントを企画すればよい。そしてそれで客も存分に騒げるコンセプトなりがあれば興奮も達成感も得られる。
高校の文化祭なんか打ってつけだ。元々バンドなんか一個も出なくたって全校がお祭り騒ぎやってるのだから。祭で浮かれているところにレッチリやバンプオブチキンのコピバンでも出れば、誰でも簡単に・・とは言わないが、ヒーローになれる・・。
(もしもこれを読んでる高校生がいたら、こういうことだから確実にやれ!停学のリスクを負ってでもやれ!こんなに美味しいチャンスを逃すな!)

しかし、卒業後社会に出ればそういった祭や行事を企画するところから始めなくてはならない。ライブハウスを借りるなどして、宣伝もすべて自分でしなくてはならない。
高校の文化祭を甘く見てはならない。数百人規模で3, 4階建ての館を数日間貸し切って行うわけだから、規模としては相当なものである。他校の生徒も来る。しかも基本的に無料だ。
これに匹敵するくらいの興味関心、チケットの購買意欲を促すように宣伝して、当日ライブハウスに呼び込まなくてはならないわけだから、その計算なしで高校の文化祭の武勇伝に勝てる筈がないのである。況や平日の通常ブッキングでは無理である

したがって、高校の文化祭がバンド人生史上最大のピークになりやすい。という結論に到達した。

さて、では今後どうすればよいのか?
前述のように、高校の文化祭に匹敵もしくは上回るライブは幾度か経験した。しかし、数日経てばみんなそんなことは忘れている。普通のブッキングライブに出れば客足はとんと減っていかんせん手応えもない。今までと同じ何でもない日々。
考えてみれば、高校の文化祭も全く同じプロセスであった。ひょっとしたらあの興奮を記憶しているのは俺たちバンド側だけなのかもしれない・・・。

いくつか経験する内に、こういった一過性の現象にそんなに拘るべきなのかどうかという疑問も出てきた。
どんな興奮も必ず冷める。故に形に残さなければ意味がない。映像なり音源なり何でも良いから残すべきだ。
何故ならあの当時体育館で我々の演奏に拳を突き上げてくれた生徒たちも、我々の演奏を、その姿を記憶しているという保証はどこにもないのだから。

不一

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今年は人生最悪レベルでひどい年だった。まず嫁と別れた後、身内の死が5人(犬含む)立て続いた。したがって来年の新年の挨拶はありません。とりあえず今年を振り返ってみよう。

1. ソロ活動について
2. 韮について
3. ミュージックオブザイヤー かずお爆弾賞
4. その他
5. 終わりに

1. ソロ活動について
バンドが復旧に連れてこちらは下火にしていった。とりあえずバンドのほうがやりたいとまだ一応は思っていたので、そちらでうだつが上がらない以上こちらは休止にした。とはいえ、一応たまに何かは浮かぶのでいくつか作曲した。


「昼下りの空」
草案は昨年末(つまり丁度一年前)にあったのだが、それを具現化させた。歩いてるときにふと閃いたメロディである。実はこの曲には本来大サビがあって、高速なメタルサウンドで Xの「紅」的な展開の曲だったのだが、あれもこれもイラネーーってなって最終的にこういった質素な曲になった。その決断は正しかったと思う。


「南鳥島を返せ」
元々韮で提供しようとしていた曲だったが、歌メロ主体の曲になってしまい、後述の理由で韮でやれそうにはなかった。ので自分で歌うことにした。
題名の着想はいつだったか忘れたが、、、南鳥島は東京都よりも千葉県のほうが近い。にも拘わらず東京の領土ということになっている。という疑問を持ったのは4年ほど前だった気がする。そして丁度小池劇場の失速がメディアによって伝えられている時期だった。就任当初は写真集まで発売され、都民ファーストであれだけ躍進していたのに、掌を返す都民とメディアに夥しい不信感があったのでソイツで肉付けさせてもらった。原発も米軍基地も東京のど真ん中に作るなら賛成という立ち位置も僭越ながら示唆させていただいた。

さて、話が飛ぶようだが、車を購入した(後述)。それがきっかけで実家で永年眠っていた LINE6 の 30W アンプを自宅レコーディング機材に導入。そいつが AIF との相性も素晴らしく、かなり良い音を出すので劇的に宅録が捗るようになった。俄然やる気も出てきた。そんなとき作ったのがこの「南鳥島」である。


「人文科学とその統計」
不気味な夢を見た。私は田口ランディ氏の本が好きなのだが、同氏の著作で広辞苑のように分厚い本があった。医学書のような?専門用語や写真が並んでおり、びっしりと意味のわからない研究論文のような文章が敷きつけられている本だった。中には同時多発テロ事件に関する言及、写真などもあった。それを見ているうちにいつの間にか自分の身の回りで現実に起こり始める・・・・というかなり不気味な夢だった。その本のタイトルが「人文科学とその統計」だったのだ。
もちろんそんな本はこの世に実在しないし、読んだ覚えもない。とにかくそういった説明のつかない悪夢のような不気味さというのは奇妙な引力がある。そう考えると・・・その本の著者が田口ランディ氏だったのは何となく理解ができる。そういうのが体現したくなったのである。というかなんっつーか、周期的にミュージックコンクレートみたいなのがやりたくなるんだよな。単純に

あとはなんかその、、アンプを導入したからということで過去の曲をリバイバルしまくった。形に残せなかった曲などもどんどん復刻させた。
数えてみたらそういうのが7曲くらいあった。月一以上で作っていたようだ。







2. 韮について
悪い意味で波乱の連続だった。まずベーシストサトーハラが脱退。彼が脱退することは前年から決まっていたことだが、まさかその脱退ライブの2日前にドラムのちゃんななが辞めると言い出すとは思わなかった。まあハッキリ言えば正真正銘バックレである。それで結局彼女とは今年は一度も会わなかったし、今後も会うことはないと思う。

その後、むう大陸とキン太が加入してくれた。だが二人には申し訳ないが、先日書いたように俺はバンドに対して正直言ってすっかり冷めてしまっていた。韮に合わせた曲が作れない、というかもう作りたくなくなっていた。もじ氏のヴォーカルはしばしば音程ズレが気になった。まあ多少はこれは俺も他人の事言えないんだが、氏は自覚症状が全くなかったのでメロディを作曲して提供する気になれなかった。
当然こういった技術面に対する不満は一年以上前から指摘していたが、それ故に関係が悪化した時期も過去に何度かあった。楽しくなくなっちまったらおしまいだなと思って今年は極力指摘を我慢していた。彼は五線紙もドレミもコードも理解していなかったので説明のしようがなく、伝えようがないことがもどかしく地団駄を踏んだ。仕方がないから DTM を夜な夜な打って渡した。残業後に深夜3時まで作業していたこともある。それでも焼け石に水だった。やっぱり音感がないなら座学で勉強してもらうしかないのだ、と確信した。
ならば一層のことメロディがない曲だけ作るしかないだろう、となる。俺は何をやってるんだろうか?いつの間にか俺の方が楽しくなくなり疲弊消耗していった。
ところが、一年以上待っても努力の形跡が見られなかった。「かずおが気にしすぎなだけだと思ってた」と言われたとき、初めて脱退の二文字が脳裏を過った。責任転嫁めいていて言及は避けていたが、事実なので堂々と書かせて頂こう。多分俺がヴォーカルを他人に任せることは二度とないだろう

3. ミュージックオブザイヤー かずお爆弾賞
車を購入したきっかけで再びにラジオを頻繁に聴くようになった。そこで偶然聴いた長渕剛の「素顔」という曲を是非選びたい。元々長渕剛の曲実はあまり好きではなかった。なんというかキャラを作っているようなわざとらしさを感じてしまい、JAPAN 一枚くらい聴いてあとは敬遠していた。世間が何故氏を神格化するのはわからなかった。本も読んだことがあったが押しつけがましさを感じるばかりだった。村田英雄のほうがよほど男らしいじゃないか!などと心の中で思っていたのである。
ところが AM ラジオでこの「素顔」を聴いて以来、急激に評価を転換させるようになる。

「時の手のひらの中でお前に示した精一杯の愛だったんだ」
この一節にはプロレタリア俳句のような強烈さを感じた。試に何枚かCDを購入したが、ファーストアルバムとか買った日から一週間くらい一日十回くらい通して聴いていたと思う。「いつもの寄り道戻り道」とか何度聴いても泣ける。こんなに美しい曲を作る人だったのか。でも本人はきっとこれがコンプレックスだったのだろうな。。。今まですいませんでした。

他にも受賞候補だったのはグリムスパンキーの「美しい棘」、あいみょんの「愛を伝えたいだとか」、沢田研二の「危険なふたり」(今更!)等

4. その他
車を購入した。これは私の人生において非常に大きな意味を持つ。幼稚園時代から死にたいほどに憧れたソアラZ20 をついに手に入れたのである。欲しかった家具や先述のアンプも運んだりして音楽活動にも役立っている。一方でバイク熱の衰退も当初は懸念されたが、全くそんなことはなかった。気分と用途、気候によって両立している。俺はやはり両方好きなようだ。RPG で段々便利な乗り物を手に入れて世界中行けるようになるが、まさにその満足感が現実のものとなっている。もう恐れるものなど何もない!

5. 終わりに
今年は過去との訣別、清算の年だったと思う。非常に心忙しく大変な一年だったが、お陰で来年へのやる気が大いに漲っている。終わったものは終わった。何の未練もないし振り返るつもりもない。明日からただ前進あるのみだ。

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掲題通りです。2015年3月から韮のギタリストとして活動していましたが、今決定済みのライブ(来年の1月24日)を経た上で脱退する決意を致しました。

1. 脱退理由
動機は一言で申し上げればバンドに対する意欲の低下です。最大の要因は、韮に合わせた作曲やアレンジができなくなったことです。もじ氏は正確な音程が取れず譜面も読めず、一年間の猶予を与えた挙句一向改善、努力が見られませんでした。故に主旋律やコード進行を敢えて欠いた曲しか創作、演奏せざるを得ない現状も息苦しく感じるようになりました。とはいえ既存の曲だけでライブ活動を続けるのも辛くなってきました。
「でもバンド活動ってそういうものだろ、みんなどこかで互いに妥協しながらやるのがバンドじゃないのか」というもう一人の自分も居り、一年以上前から葛藤しながらも続けていました。が、ついにモチベーションが捻出できなくなりました。一方でもっと自由に作曲、アレンジがしたいという思いは鬱血していきました。
脱退の二文字が脳裏を過るようになってから、色々メロディが浮かんだり、作曲の気力も再熱しました。が、もう韮の曲として転用、若しくは昇華できるものは全くありませんでした。そこで韮として貢献できる役割は終わったと確信し、メンバー3人に脱退したい旨を打ち明けました。

2. 韮加入から現在
これはただの思い出話ですので蛇足かもしれません。
先述のとおり私が韮に加入したのは2年8か月ほど前であります。元々ヴォーカルのもじ氏に声をかけられたのですが、私自身も韮には興味があって二つ返事で加入しました。
最初観客として早稲田 zombie に韮を見に行った際、野菜やダッチワイフを投げたり、アホらしいことをハードコアパンクに乗せて歌っている同バンドを見たのでした。大笑いしましたし今でも無二の魅力だと思っています。
嘗て私がギターヴォーカルをやっていたニトロ爆弾(2009年結成。2011年解散)でやろうとして到達し得なかったことを、韮ならやれるような気がしました。而して既成のハードコアパンクや HR/HM へのアンチテーゼとしても機能すると期待しました。それが韮の最大の武器だと思います。(もしかしたら或る程度それが満たされてしまったのかも、と書いてて思いました。)
韮に加入したことは正しかったと思っております。手前味噌かもしれませんがバンドを成長させたという自負もあります。メンバーと応援していただいた方々には感謝の言葉もありません。

3. 今後について
また自分でバンドを興すかもしれませんが、高校時代から自分がボーカルのバンドを組んでライブハウスで活動しては3年くらいで解散、、、というのを繰り返してきたので、少しやり方を変えてみたいと考えています。しばらく一人で活動します。宅録で作った音源を upload したり、轢き語りでオープンマイクやバー、もしくは路上を彷徨うことになりそうです(これまでも並行してやってましたが、鳴かず飛ばず)。今はとにかく自由に作曲がしたいというだけです。クリエイターとしての人生はまだまだ続くので生(?)温かく見守っていただければ幸福です。
韮は新たなギタリストを入れて続けてほしいと、無責任ながら思っていますが、今後は未定です。現在決定済みのライブを全力投球というのを私のケジメとさせてください。

4. おわりに
一度乗った船を降りることについてメンバーには、そして応援してくださった皆様には申し訳ないと思っております。何卒ご理解下さい。演らせてくれたことに心から感謝しております。ご武運をお祈りしております。また、(極右兼極左)シンガーソングライターとしてのかずお爆弾をどうぞよろしくお願いします。
末筆ながら最後まで読んで頂いて望外の大幸に存じます。

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掲題の如く、私かずお爆弾は BOOViES を脱退しました。
脱退の動機は、俺の目指すものがハードコアパンクじゃなくなったから、コレだけです。後任のメンバーが決定したので公表いたします。

【太陽 / BOOViES】
加入したのはちょうど2年前か。俺としては BOOViES に爪痕を残せた手応えもあるし、俺自身影響も受けたし、悔いは何一つありません。凡て財産です。短い間でしたが、俺様を応援していただいた方々、出会った方々ありがとうございました。

今後も BOOViES は新メンバーも決まって続行していきますし、私かずお爆弾も、音楽活動は遺伝子を引き継いでブリバリやっていくので、皆様何卒応援よろしくお願いします。
皆様方の益々のご健勝を心よりお祈りいたしております。
以上
(写真2,3 Photograph by Who are U?co.澪)

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プロフィール
HN:
かずお爆弾
性別:
男性
自己紹介:
千葉が好きな普通じゃない日本人。最近ピアニストに転身した元ギタリスト。単車キチガイ系シンガーソングライダー。ニトロ爆弾/BOOViES/韮。大型二輪:DSC1100 四輪:ソアラZ20。県立千葉高校 → 千葉大学工学部機械科、ジークンドー卒。ライブのお誘いお待ちしてます。民主主義反対!
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