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ものすごく正直に言えば俺はオタク文化ってやつを馬鹿にしている節がある
さして知らないものを批判するっていうのはやっちゃいけないことだが、アレルギーがあるという言い方が適切かもしれない。
兎に角厭なんだ。
絵がどうしても好きになれないんだ。
コスプレも嫌いなんだ。オシャレともかわいいともかっこいいとも思えなくて。ああいうのってアニメや漫画の、バーチャルな世界だからこその魅力じゃないのかな
そしてそれ関係でよくyoutube に転がってる音楽も厭なんだ。ボーカロイドとかもそうなのかな。どーしても俺には理解できない。検索の邪魔だ
高校んときからそうだった。ハッキリ云ってオタクが嫌いだった。
オタク文化ってのがまだ市民権を得ていなかったという時代背景もあるが・・・。ただ、どの音楽もつまみ食い程度で情報武装ばかりして、、「どうだ俺はこんなマニアックな音楽も知ってるんだぜ」っていう道具としてスリップノットやマリリンマンソンを使ってるように見えて、俺はそれがすごく不快だったんだ。
そして引き篭もって生み出すものは批評ばかり。肯定的なアウトプットなど何一つない。
まあ俺も全然人のこと言えなかったけどな~

まーそんな印象のままいつの間にかこうして24歳になったわけだが
さすがに俺も偏見を持ちすぎていたかもしれないと思うようになった
中にはそういうオタッキーな世界にどっぶり浸かっても、いろんな世界を色んな音楽知っている人に出会ったりもして、人としても魅力を感じたとき、そんなとき俺は自分がとても卑小に思えるのである。
そしてテクノやらトランスやらと割と癒着もあるらしい。(?)
まあ俺の好みかどうかって話とは別だけど、要はパンクやロックンロールに劣らず奥が深いんだろうなと思った
おれもいつまでも餓鬼のころのアレルギーを引きずるのはもう罷そう

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俺は未解決事件、失踪事件が大好物なのである。
言い方は不謹慎かもしれないが、絶大な興味をそそられる。
あの事件を追え、みたいな番組はどんどんやってほしい
風化を抑止できるし、有力が得られるかもしれない。現に放送後に自首してきた例を俺はハッキリ覚えている。

今日はテレビ朝日でそんな番組をやっていたので見たんだ。
すると超能力者が、失踪した子供の両親に「残念ながら亡くなっている」と伝えるシーンがあった。
それが彼の透視の結果なんだそうだ。
泣き崩れる両親。慰める超能力者。
俺は強い違和感を感じた。というか怒りすら感じた。

俺は超能力をほとんど信じてない。
霊魂とかにいたってはありえないと思ってる
したがってそれを読み取るなんて能力があるはずがない
なんかそういう実験結果とか、信頼に足る結果がちゃんとあればいいが、どれもこれもどうも胡散臭い。
むしろ調べれば調べるほどこういうのはデマカセor科学的、心理学的な証明がついてしまう事例ばかりが浮かんでくるのだ。
第一、物質もエネルギーも分解されて、思念だけが残るなんてことがあり得ない。
地球は四角いかもしれない、カラスは白いかもしれないというのと似たようなレベルの仮説じゃないだろうか?
それが妥当性のある仮説かどうかは、少し考えれば誰にだってわかるはずだ。
したがって、俺は信じないのである(信じたいという期待はある)

でも俺が当事者の家族だったら、それでもいい、それでもいいから少しの可能性でもあるなら、それが超能力がなんだろうが懸けたい、そう思うだろうな。
このときばかりは神でも悪魔でも信じるだろう。
そうして藁にも縋る思いで調査を依頼した両親の気持ちを考えると、いたたまれない心地になった。
これは、実在の事件なのだ。
オカルトは好きだが、飽くまで娯楽の範疇だ。
俺からしたら娯楽で切り捨ててしまえるような絵空事で、両親の希望を断ち切っているように見えて、俺は非常にわだかまりを感じた。
「当たるも八卦当たらぬも八卦」という心構えだったなら別だが、番組は両親に事前にそんなふうに一言でも断っておいたんだろうか?

これで祈祷料だのなんだの詐取したりしてない分相当マシだし、こういう番組が事件解決の手がかりを掴むことも知っているが、やるんだったら番組の趣旨をハッキリさせてほしい。
霊能者とか呼んで娯楽としてやるなら娯楽、家族のために調査をするなら信頼に足る科学的見地から調査してほしい。
まさか霊能者も仕込みで、番組制作のために家族を奈落の底に落とした、なんてことはあるまい、と祈るばかりである。

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今年は飛躍の年だった。Boovies に加入して非常に濃い活動を経験することができたからだ。
本当に、2007年以来の飛躍だったな
2007年に何があったかというと、俺が生まれて初めてライブハウスでライブをやった年だった。
まだ16歳だった。
文化祭でクラスメイトの前で演奏をした年だった。
当時は Something というバンドをやっていた。
ガツンといわしてやったって手応えが、確かにあった。
あのときは「バンドをやる」こと自体がステータスだったしね。
学校で目立つためのツールとしては最高だった。世渡りのための武器だったんだ。
十代にとって地下ってのはそれくらい魅力的なものだった。
俺は当然音楽が好きだし、そのうえ目立ちたがりな俺の自己顕示欲を思う存分に満たすことができた。

だが、それ以降は、なんだかバンドをやるってこと自体がどこか当たり前になってしまって、その2007年ほどの興奮ってのはなかなか得ることができなかった。
そっからずっとバンドを続けてきたけど、半ばあきらめていた。
やっぱああいう感覚ってのは十代だからこそ味わえるものなのかなと。
もう大人になっちまってからは手遅れなのか?って諦めかけていた。

そんなことはなかったよ。
むしろ社会人になってからのほうが好き放題やれるってもんだ。今年それがわかった。

俺は大学を卒業して就職という至ってスタンダードな経歴で社会人になった。
俺の周りもそういう人が多いわけだが、「バンドやりたいけどできない」「できればやりたい」って旧友が多すぎる・・・
まあ社会人1年目2年目ってのはそういう年なのかもしれないが、足掻いてほしいとおもっている。
「できればやりたい」は誰だって思う。
「絶対やる」って思わなきゃな。

一番良くないのは「何もしないこと」だ
自分の今まで積み上げてきたものを伝えることができずに、色あせていくだけだ。
人の入れ替わりも激しい。どんどん忘れられていく。
色あせさせないために、繋げるためには、続けるしかないのだ。
思い出に浸っていたいなら猶更だ。過去を肯定するなら続けることだ

使い古された言い方かもしれないが、「続けるのが大事」ってのは本当だと最近実感した。
そのときはライブをやってもなんの手応えもなかったとしても、見てる人は見ている。
未だに4,5年前の自分を覚えてくれてる人に出会ったりして、本当にそれを痛感した。
人に話すのも憚れるような黒歴史ばかりでも、やっててよかったと今では思うよ

俺のダチには、下手したら文化祭以降バンドをライブをやってないなんて人もいる。
別にバンドに興味がないならそれで構わんが、「できればやりたい」という思いを燻らせて結局何もしていないというパターンを山ほど見てきた。
俺は歯がゆい。
やりたいと心のどこかで思っている、それで十分じゃないか。その情熱が日の目を見ないまま眠っているのはもどかしい。
そして千葉県立千葉高校のバンド部第一期生で現役なのが俺だけってのも寂しいな。
思い出を語り合える人間すらいない。
居酒屋にいてもライブハウスにいなきゃ意味がない。
何もしないままじゃどんどん色褪せてしまう。ただの思い出にしたくない。あの興奮はホンモノだったからこうして足掻いている。
しかも「やっぱ社会人になったらバンドできなくなっちゃうんだな」という誤解を、若い世代にも与えかねない。

もう一度言うが、別にやりたくない人や、他に夢を追ってる人に、続けてくれといってるわけじゃない。
「できればやりたい」という人に対して言っている。
俺は奮起してほしいんだ。
心のどこかでそう思っているなら、何もしないなんて選択は選んでほしくない。
頼むから「就職したからできない」なんてのは罷してくれ。
それは、俺がガキのころから最も恐れていた人生だ。俺にとっては絶望そのものなんだ。
そんな言葉を俺は現役の学生バンド連中にも聞かせたくないと思っている。

まあ少々熱くなりすぎた。俺が誰かの人生にとやかく言う権利はない。
でも、やりたいのにできないってのは本人たちだって望んでないと思うし、最近強く思うことだったから書いておく。
くすぶっている元学生バンドマンよ、奮起セヨ。
以上

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小林祥臣のおそらく人生最後になるであろうステージは、千葉県鎌ケ谷市の Handwired Garage で行われた。
北初富駅から徒歩数十秒の距離であった。千葉県出身とはいえ房総半島民の私にとっては頗る馴染みの薄い土地であった。
初めて行ったんだが、非常に雰囲気の良いライブスペースであった。ホールは全部カーペットで基本的に座って演奏を聴くという感じである。
音楽ライブというよりは、こじんまりと漫才とか落語でもやりそうな寄席のような感じであった。
近頃は猥雑で蠱惑なライブハウスの空気(無論、好きなのだが)に浸かり気味だった私にとって、何か非常に安心感を覚えるものであった。

小林祥臣。
彼の名を知る者は決して多くはあるまい。而して彼はこれまで頻繁に芸名を変えてきたため猶更だろう。
だがこの男は私の音楽人生を語る上で最重要人物の一人なのだ。
私は過去2回にわたってともにバンドを組んできたわけだが、彼と出会ったのはそろそろ4年前になる。当時運営していたバンドのベース募集に志願してきた内の一人であった。
実のところ第一印象は芳しくなかった。というのも彼が年齢を詐称していた挙句、自分の音楽の知識を延々と畳みかけるからである。
そこには一髪の間隙もなかった。誰しもが戸惑うに相違ない。全く奇怪な青年だった。
だがしかし、徐々に彼の素性を知るようになると評価は好転する。

ひょんなところで「外道」の音源を聴いて音楽に目覚め、わずか2年ばかりで数千枚の音源を所有するに及び、中古レコード店等の雑誌や本を読み漁り、驚異的な記憶力で音楽を吸収していった。
私がスタジオで「最近オフスプにはまったかも」というと次の週に Offspring の CD を4,5枚ほど持ってきた。
ニュージーランドのアヴァンギャルドの音源を買ったかと思えばAKB48のCDもちゃんと持っていた。
ライブでベースを粉々に破壊したそのベースの裏面には ACID MAN のステッカーが貼ってあった。
この世の中に流通する音楽は全部知っているかのようだった。音楽マニアみたいな人種は沢山見てきたが、あまりにもレベルが違いすぎた。
自身でも演奏をするようになり、深夜の中学校、早朝の大学、駅前等場所を問わずアンプで爆音を撒き散らした。
ヤカンで演奏をしたことも、駅前でガラスを破壊したこともある。
その音楽への底なしの情熱、探求心と行動力を目の当たりにするに連れ、私は脱帽を禁じ得ざるに至るのであった。
ーーーーこんなキチガイが今までいただろうか!?!?ーーー、と
彼のエピソードを語りだしたら枚挙に暇がないほどである。

彼はその後、路上で出会った女性とわずか数か月ほどで結婚し、家族を育むようになった。
彼の演奏が功を奏した結果なのだろう。だがこれが彼の音楽活動に終止符を打つ決意をさせたというのは、なんとも不思議な運命である。
彼の音楽活動期間はなんとも短いものであったろうか。おそらく、4年にも満たないと思う。だが、わずか数年をこの男は何倍もの速度で駆け抜けたように見えるのである。
何かのCDを聴いてロックンロールに目覚める。CDを集める
。ギターを買う。バンドを組む。彼女ができる。
こういう事例は日常茶飯事だと思う。だがこれを4年足らずで、数千枚の音源を吸収しながらすべて全うできた人間はどれくらいいるだろうか。
ましてや結婚、出産まで至るのはごくレアケースと言って間違いではないだろう。
述懐すれば、バンド加入後に早い段階でアコースティックに傾倒するようになったのも、必然だったのかもしれない。
生きる速度が違いすぎたのだ。

あれほど愛していた音楽をきっぱり手放すに及んだ彼の決心は固い。
だがそれは決して「就職して時間なくなったから」とか「もういいや」とかいう巷に出回った後ろ向きな動機づけとは断じて性質を異にするものだ!!
ある意味、最終目標を達成したが故の終焉とも解釈できるではないか?
少なくとも中学のころモテたくてギター始めた俺には、羨ましいほどの大往生である。
かくして散っていった戦士の魂を、俺は無碍にはしまい。

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今朝は一際目をひかれたニュースがあった。
ゆるい就職なんてのがあるらしい
http://yurushu.jp/

要は何かっていうと週5日働いて安定を得るなんてのがお決まりになっているが、必ずしもそれが正解じゃないはずだ、みたいな話だ
一見するとなんてすばらしいサイトだと思ったが、実際は派遣やバイトで食いつなぐフリーターと同じようだ。
間違っても週休4日でいいからウチで働かないかっていう募集要項ではない。
な~んだ、と思った

だがコンセプトは至極同感する。
さすがに週休4日は暇すぎて辛い気がするが、週休2日が当たり前っていうのはどうも好きではない。
それに「今の若者は正社員になったら負け」っていうのもよくわかる。
なんでかっつったら、今の時代、正社員なんてがんばってなるほど価値のあるもんじゃないしね
昔は正社員=安定だったのかもしれないけど、いまはそうじゃないだろう。
正社員ですら使い捨ての駒としか思われない現場は腐るほどあるからね
どうせ正社員だって枕を高くして寝れないならフリーターだって一緒なんじゃないかと思う
こういうことを俺の親とかに話すと、いつも反論される。
まあそりゃ納得できないだろうな
いい大学=いい会社=安定ってのが可能だった時代で育ったわけだからな
景気もよかったし今ほど就職に苦労もなかったはずだ。
そのジェネレーションギャップは大きいだろう
そして当然自分の子供に危険な橋を亘っては欲しくあるまい
だが・・・時代は変わりすぎたのだ。

今じゃ就活のための塾まである時代だ。
そこに名門大学出身の就活生が、ただでさえ年50万、私立ならその2倍近くの学費を払っているのに更に月謝をはたいて通っているのだ。
言っちゃ悪いがばかばかしいと思わないか。
たかが面接に受かるための知識なんざどんだけ詰め込んだって就活終わっちまえばなんの役にも立たないぞ。
「そりゃ高校受験大学受験、資格試験だってそうだろ」っていうかもしれないけど、学校や資格と同じくらいの目標がその面接に、その会社に見いだせるのか?って話だ
俺はついに見出せなかった
だから俺はこんな勉強したことは一度もなかったし、「しとけばよかった」と劣等感を感じたことも一度もない

俺が思うに、名門の大学ほどプライドが高いからそれなりに一流の会社に勤めたいんだろう。
だからそこまでするんだろうね
就活自殺なんて言葉もあるくらいだからね
気持ちはわかるが、もう正社員=安定みたいな時代じゃないわけだからそんな拘りは捨てるべきだ
(もっというと大学受験もそうだ。昔ほどの価値は薄れてしまった。)
視野を広げりゃ社員募集している現場もあるわけじゃないか
何も就活のための塾に通ったり、挙句の果てには自殺したりなんてするほどの事態じゃないと思うんだ
プライドを持つのはいいことだが、それに縛られたり振り回されるのは本末転倒というものだ

このゆるい就職の講演会(?)みたいなものも応募者数は半端ないらしいが、有名大学出身の就活生は多いらしい。
ひょっとしたら彼らも大学名のプライドゆえに何かを求めて彷徨っているのかもしれない
と、かく言う俺も今度行ってみるつもりだ

一方で、この考えに批判的な声も当然あるわけである
「親の介護が必要になったらどうする」とか「結婚したら、子供ができたら」とかだ
まーーそれを言われちゃあそうなんだけどな
年金だって下手すりゃ70になるまでもらえないかもしれないからな
どうすりゃいいのかって?
それを今必死に考えてるんじゃないか

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プロフィール
HN:
かずお爆弾
性別:
男性
自己紹介:
千葉が好きな普通じゃない日本人。最近ピアニストに転身した元ギタリスト。単車キチガイ系シンガーソングライダー。ニトロ爆弾/BOOViES/韮。大型二輪:DSC1100 四輪:ソアラZ20。県立千葉高校 → 千葉大学工学部機械科、ジークンドー卒。ライブのお誘いお待ちしてます。民主主義反対!
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