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ここ最近考えていたことを書こう

実は音楽ってのはあまり勉強しないほうがいい気がする。
あんま手本が多すぎると何作っても誰かのメロディに似てる気がして気に入らなかったり、「普通こういうのはあり得ないからこうしよう」とか「これが王道だからああしよう」とか足枷ばかりである。

よくよく考えてみれば沢山音楽を知っていても好い曲が作れるとは限らない。
俺は、昔の、50,60年代のまあ海外のR&Bとかモータウンとかが好きなんだが、実際あの人たちより俺ら世代のほうがはるかにリスナーとしての経験値は豊富なはずなのです。
この数十年の蓄積がデータベースとして利用できるわけだし、TSUTAYA も youtube も何から何までそろっていて音楽で飽和している時代だ。
だが、ではあの時代の人たちに勝るメロディを生み出せる人間が果たして何人いるか、と考えると、滅多にいるもんじゃない。
それはメジャーのアーティスト同士を比べてもそんな気がする。
こういうことを言うのは、懐古主義じみていて厭なのだが、かつての stand by me や when a man loves a woman みたいに、何十年も先でも歌われているだろうなってメロディが現行のヒットチャートにどれだけあるのか疑問である。
「ない!」とまでは言わないが、そのレベルの名曲が占める割合が向上しているとは思えない。音楽のデータベースは遥かに進歩しているのにも拘わらずだ
結局、名曲、名手の割合ってのはどの時代も一定なんじゃないかな。
俺はやはり、リスナーとしての経験ってのはある一定のレベルに達すると、それ以上は創作力に影響をほとんど与えないものと思う。
既にベテランのボクサーが縄跳びやパンチングボールやりまくって強くなるかって言ったら全然ならないのと同じである。

俺自身の経験からもそんな気がする。
高校二年のときに作った曲とか、、あの当時はメタルもパンクもよくわかってなかったんだけど、なんかできた曲があってそれが未だに自分では気に入ってるんだよな。
まあブラックサバスの影響ブリバリではあるけどよ。
でもそれなりに自由に曲を作っていたと思う。

段々色んな音楽知るにつれてあーだこーだ考えるようになっちゃって何やっても2番、3番煎じになっちまった感があるな。
要は聴いてて心地よい音楽さえつくれりゃいいんだから、そういう空手の型みたいなものは無用なのである。

でも、、、そういう体裁自体が気持ちよくなってきたりもするんだよな。様式美というやつか。
「うおお~~xxxみたいだぜ」「xxx海岸系っぽいぜ」とかね。実際自分の好きなアーティストの影響を受け継いだ曲が作れるってのは、一種の矜持でもあるのだ。

でもな~それ自体が目的になっちゃあなんか行き止まりなんだよな。
ハードロックもパンクもハードコアもなんかもうやりつくされてる感がある。
「貴様ごときに何がわかる!」とか「貴様に言われんでもわかってるわい」って言われるかもしんないけど、事実そう感じるからしょうがない。
なんかもうジャンルだのなんだのにこだわってちゃダメだな。
自分が良いと思う音楽をやんなきゃ。
焼きまわしが絶対ダメとは言わんけど、俺が本当に好きだった音楽ってのはこういうんじゃない!
beatles も jimi hendrix も janis joplin ももっと型にとらわれていない音楽ではないか。
俺は焼きまわしにはならんぞい

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プロフィール
HN:
かずお爆弾
性別:
男性
自己紹介:
千葉が好きな普通じゃない日本人。最近ピアニストに転身した元ギタリスト。単車キチガイ系シンガーソングライダー。ニトロ爆弾/BOOViES/韮。大型二輪:DSC1100 四輪:ソアラZ20。県立千葉高校 → 千葉大学工学部機械科、ジークンドー卒。ライブのお誘いお待ちしてます。民主主義反対!
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