忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

地震から2年か
去年は中古CD屋で黙祷をした
今年は運転中だったから黙祷しなかった

去年、店がアナウンス流して、黙祷を行いますみたいに言った
周りの客もみんな黙祷していた



俺はいっつも思うのであるが、こういう黙祷ってのはやはり必要だなと思う
同じように「ご冥福お祈りします」とか「お察し申し上げます」という言葉もなんだかんだ必要だと思う
これがなんの慰めにもならないこともわかってる
わかってて必要だと俺は思っているんだ
こういうのをただの社交辞令として嫌う人も多い

だが、だったら本当に死んだ人や遺族を慰めることができる行為が他にあるのか?と
何もない
金やら物資の支援はできても、心の支援はやはりほとんど出来ないものと思う
人の死ほど解せないものはないな
だって誰も死んだことがないんだものな
死んだ人は絶対に戻ってこないし
なんにも出来ないんだ
つくづく死ほどわからんものはない

だから、どんなにがんばったところで人の死に対してしてやれることといえば、「ご冥福をお祈りします」とこういうのが精一杯なのである
社交辞令というときこえは悪いが、これが精一杯じゃないか

だが、必要だとは思う
プライベートで、ダチとかに対しては俺はめったに言わないのであるが、もしも手紙の中だったりテレビのアナウンサーだったりしたら、云うんだろうなあと思う

何故必要だと思うのかというと、まあなんとも言葉に表現しようのない感情でございます、というのを表明するのにはうってつけなんじゃないかと思うからだ
そうして自然に発生した言葉なんではないだろうか


話が飛ぶようだが、こんだけ死後の世界ってのは図りようがないのに、葬式はやるし、墓も立てるだろう
無宗教の家だって、人が死んだらまず葬式をあげる
墓を立てない人なんてほとんどいないはずだ
仏教徒じゃなくても坊さんを呼ぶ
墓参りもする
黙祷もする

拡大解釈するようだが、もしも人の死に際してかける言葉を「社交辞令」とするのであれば、こういった墓立てたりなんなりって一連の所作も「社交辞令」なのではないか?
でもだからといって、やらないわけにはいかないだろう


人の死が永遠に解せぬ現象である以上、こういった所作は必要不可欠であると俺は思う

拍手[0回]

PR
最近隕石のニュースとか見て、それと津波のこととかもおもいだしてつくづく思うんだが、俺たち人間もいつ死ぬかわからないんだな

いつ捕食者に食われちまうかわからない他の動物や、でかい生き物に踏み潰されてしまう植物や、雨で巣が浸水して死んでしまうアリとかと一緒で、人間もいつ死ぬかわからねえんだなってマジで思う。

俺たち人間は、特に日本じゃなんとか食っていけてる
貧乏人でも生活保護もらったりしてなんとか文化的な暮らしができている
一方で生きることにかえって苦悩を感じて死ぬ人間が毎年3万人いるくらいだ

俺たちは、生きていることがまるで当たり前のようになってしまっている気がしてならない
そうじゃないんだ
生きてるってのはすごいことなんだ
俺は改めて最近そう思うのである

決して自殺をする人間が貧弱だと言うわけではないので、誤解はせんでほしいんだが、
明日も生きていられる、という保証がむしろ新たな苦悩を俺たちに押し付けている気がする。
世間体、ストレス、孤独感、その他諸々だろう
生きてることが当たり前だからこそ生じる悩みではないだろうか
だから自殺という選択肢を選んでしまうのではないか

誰でも彼でも生きてることが当たり前だから、それ以上に何か突出した富を得たくなるものなんだ
自殺したいのはそれが損なわれるからなんだ


俺だって今後の人生で自殺という選択肢を絶対に選ばない、という自信はない
死にたくなるときだってあるだろう
だがそのときなんとかして思い出したいものだ
生きてるだけで人間ってのは素晴らしいんだ
本来はそれだけで幸せだったんだと思う




何のために生きてるのか、ってのは、何のために音楽をやるのか、と似ている

音楽をやるのは、音楽がやりたいからだ
ただそれだけだ
音楽で表現したいことは、思想でも感情でもなんでもない
音楽そのものだ
音楽そのものを表したいがために音楽をやる
x=x というような、まるで答えになっているのかいないのかわからないような応えだが、これ以外に思い当たらない

生きることも同じだ
何故生きるのか、
生きるためだ
ただそれだけだ

拍手[0回]

音楽に飽きた感が最近半端じゃない

聴いてていいなあと思うことは多々あるが、聞きたくてしょうがないみたいなことがすっかりなくなったし、自分がプレイヤーとしてやっていくことにも近頃魅力を感じない。
月に50枚以上CDをあさっていたころが嘘のようだ

考えてみりゃ俺が一番バンドをやってて楽しかったのって、高校の頃だったのかもな
所詮は俺にとって音楽は、他者との差別化を図るというか、ほかになんの取り柄もない自分を立たせるためのツールでしかなかったのかもしれん
こう認めるのは情熱家を語ってきた人間たるもの、敗北以外の何物でもない
俺は確かに音楽が好きだ
この上なく好きだ、これは本当だ
だが自分がやり手になって活動するための動機は、今となってはほとんど見当たらないのだ
このままで終われるかって己を奮起させようともするが、ただの意地のようにも思われて、そんな続け方するならやめちまうべきだと思う

だがどうしても続けなくてはならない、とやはり思わんでもない
その理由というのも、俺は何かしらガツンといわしたいからだ
周りの人に影響を、ショックを与えたい
この気持ちだけは変わらねえ
それは音楽である必要はない
出来るもんなら俳優でも芸人でもなんでもいいんだ
とにかく爪痕を残したい
自分の死後に俺が確かに生きていたということを証明するものを残したい
間違いなく作曲という作業はそれだ
曲は、少なくとも人類が絶滅するまでの間は残すことができるからな
広範囲の人間にガツンと言わしてやりたい
この気持ちだけはちっとも薄れねー
でも音楽以外にやれることがないし、それ自体への情熱が向けられるのも強いて言えば音楽なんだよな
だからこうして今でも俺は音楽にしがみついているわけか
こんな俺に演る資格などないという輩もいるだろうし、まあ自分でもそんな気がするんだが、それはお前らの勝手な判断なので、任せる

仕事でもなければ趣味でもない。
夢っていうわけでもない。
いや、どっちかっていったら仕事に近いのかもな
金のもらえない、終わることのない人間としての仕事

拍手[0回]

プロフィール
HN:
かずお爆弾
性別:
男性
自己紹介:
千葉が好きな普通じゃない日本人。最近ピアニストに転身した元ギタリスト。単車キチガイ系シンガーソングライダー。ニトロ爆弾/BOOViES/韮。大型二輪:DSC1100 四輪:ソアラZ20。県立千葉高校 → 千葉大学工学部機械科、ジークンドー卒。ライブのお誘いお待ちしてます。民主主義反対!
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
フリーエリア
最新トラックバック
バーコード
ブログ内検索
P R
アクセス解析
忍者ブログ [PR]